<金堂内の十二神将と仏像群 特別拝観5月〜8月、12月>
平城京は四つの方角に四つの神(獣)を冠した門があります。(「四神」Wikipedia)
四神(獣) 四方 四季 四色
青龍 東 春 青
朱雀 南 夏 赤(朱)
白虎 西 秋 白
玄武(亀) 北 冬 黒(玄)
これにちなみ、奈良県の東西南北に位置する四つのお寺のご本尊を四神に見立てたポスターができており、室生寺のご本尊如意輪観音が「青龍(東)」とされています。
<金峯山寺の位置が欠けています・・・>以前、室生寺を訪れたのは、自分が大学在学中だったのか、会社に入ってからだったか、定かではありません。
前から憧れていた室生寺の五重塔にお参りに行きました。季節も記憶が定かではありません。
名古屋から入り、柳生で一泊して、歩きを混じえて奈良に行ったのですが、電車だったか、同宿の人の車に乗せてもらったのか・・・それも記憶にありませんが、室生寺にたどり着き、五重塔を拝んだことだけ覚えています。
憧れていた五重塔を目の前にして何を考えたのか・・・
その後、長谷寺をお参りしたと思うのですが、今回歩いても記憶は蘇りませんでした。
その後、長谷寺をお参りしたと思うのですが、今回歩いても記憶は蘇りませんでした。
若い頃、仏像は興味の範囲外でしたので、今回お参りした仏像については全く知らなかったし、拝観もしていなかったかもしれません。
<室生寺金堂釈迦如来立像 購入した写真のコピーです>
五重塔はその後台風の倒木で破損したことはニュースで知っていましたが、最近調べて修復が終了していることは以前のブログに書きました。
7時のサンダーバードで京都にでて、近鉄特急に乗り換えて室生大野口にたどり着いたのは9時半頃・・・
バスに乗り換えて、ようやく来た室生寺・・・もう10時を過ぎていました。
山門をくぐり、階段の上を見上げると美しい金堂が見えてきます。
室生寺は興福寺の修円の建立。修円は平安初期の高僧ということです。
<釈迦座像と弥勒堂>
興福寺の法相宗のお寺として建立された後、修行の場として各宗派の僧が訪れ、徐々に真言密教の色濃くなり、鎌倉期に弘法大師の御影堂が建立され、真言宗のお寺となったということです。
<ご本尊の如意輪観音と本堂(潅頂堂)>
また女人禁制の高野山と異なり、女子を迎え入れたことから、女人高野と呼ばれています。
冒頭の写真は自身が国宝の金堂内の仏像群の写真です。
通常、金堂は中に入ることは出来ずに、外からの拝観になるのですが、特別開帳の時には金堂内でじっくり拝むことができます。また前衛の十二神将が全て揃うのは数十年振りなのだそうです。
<十二神将(招杜羅(子)、毘伽羅(丑)、宮毘羅(寅)>金堂に上がり、ちょうど空いていた中央部にどっかと座り込むと、仏像達の存在感がすごい迫力で迫ってきます。曼荼羅の世界が立体的に表現されている・・・ということなのでしょうか・・・
中央に位置するお釈迦様が目の前におられます。
十二神将、観音様や菩薩様を従えて 一際背の高いお姿で、穏やかに佇んでおられ、全てを受け止めてくれる大きな安心感を覚えます。
お姿を見上げているうちに、恥ずかしいことに涙が流れてきます。汗を拭くふりをしてタオルで涙を抑えます。隣にいる男の子がなんだ?この爺い、と言う感じでこちらを見ているのを目の端で感じます。
一時、多くの人が居て、暫くして、潮が引くように誰もいなくなりますが、立ち上がれずにお釈迦様の前に座り続けていました。
<十二神将(未羅(午)、珊底羅(未)、因達羅(申)>
まあ、金堂の演出の巧みさに涙腺の緩い「あらかん」が見事にはまったということなのでしょう・・・
最近、仏像に魅かれている自分はなんだろう・・・とちょっと、気になっているところです・・・
<十二神将(波夷羅(酉)、摩休羅(戌)、真達羅(亥)>
金堂の後に本堂で如意輪観音像をお参りして、外にでると、五重塔が目の前にあります。
階段途中で写真を撮っていると・・・再び涙があふれてきます・・・
先程緩んでしまった涙腺が、五重塔との再会の懐かしさと、再び訪れた今日までの時間の長さを思い、色々なことがあったな・・・と言う感じの涙だった様な気がします。
スケッチをしている若い女性がいます。人前でスケッチをするのはちょっと勇気が要る様な気がしますが、自分もいつか始めてみたいなと思っています。
五重塔を過ぎると奥の院へ繋がる階段が始まります。
きつい長い階段を登って行くと弘法大師の御影堂がありました。
懐かしの室生寺は色々な思いが乱れ浮かび、ちょっと訳が判らなくなりましたが、心に残る一日になりました。
12月の特別開帳、いや、それにこだわらず、冬にもう一度来てみようと思いつつ、長谷寺へ向かいます。
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